目前の人は、捨てる神ですか?拾う神ですか?

 勝てる恋愛テク

「神様」
「仏様」
「どうかお願いします」

初詣に限らず、神社や仏閣に行った際に、自分の願いの成就をお願いするのですが、果たして神様や仏様は見守ってくれているのか?疑問に思われる方も多いでしょう。また、ある神社や仏閣を訪れた際に、神様や仏様からにお告げのような声が、僧侶や神主の言葉やおみくじなどから聞こえてくるような気がするのは、さまざまな人々の人生に触れる中で生から死への道しるべと言いますか、道順のようなものを心得てきたからと言えるのかも知れません。

神道では、万物に神様が宿るという考え方を「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言いますが、だとすれば、人の中にもみな神様がいるということになりそうですね。仏教では、悟りを開いた人のことを仏様と考えるケースもあり、となりますと、仏様は人の中でも限られたわずかな人しかいないということにもなります。

一方で、見捨てる人がいれば、助けてくれる人もいる。不運や困難があっても、悲観することはないというたとえに「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉があります。こちらは、困った時に助けてくれる人という意味合いが強いのではないでしょうか。では助かるとはどういうことなのでしょうか?生活などに必要なお金をくれることなのでしょうか?だとすれば、顧客や雇い主もみんな神様ということになりますが、なかなかそうは思えませんよね。

例えば、バスを降車する際、財布を忘れてきたことに気付き、オロオロしている時に見知らぬ人が代わりに笑顔で支払ってくれたとなれば、神様のように思うのではないでしょうか。また、あなたが男性で道で転けてしまった時、周囲は見て無ぬふりをしている中で「大丈夫ですか?痛そう」と気遣ってくれる女性がいたとしたら、まさに女神のような存在となるのではないでしょうか。

神様とは、物質的な価値を提供してくれるというよりも心を救ってくれる、慰めてくれる存在と言えそうですね。「捨てる神あれば拾う神あり」の真意は、物質的価値の提供の有無にかかわらず、人が人に対して心でどう向き合うかといった側面が強いように思います。そういうことを踏まえますと、身近にも気付いていないだけで心で向き合ってくれている人の存在があるかも知れませんし、そういった心や秘められた思いを感じ取れる感性や感覚こそが大事だと思いますよ。
(記事:スタッフ)

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