恋愛小説・注文の多い妻

 勝てる恋愛テク

「うわぁ、すごい!」
「夜の琵琶湖て大きな暗闇にしか見えないけど、それがかえって存在感を感じさせるなぁ」

風のように聞こえてきたその呟きの方向を振り向くと、茶髪が肩ほどまである30代くらいのスレンダーな女性が立っていた。目は鋭く気の強さを伺えるが、ニコッとした時の悪戯っぽい笑顔とのギャップにキュンとなってしまう男性も多いだろう。

ここは滋賀県の大津サービスエリアの展望デッキ。昼間は琵琶湖が一望できる眺望から多くの人で込み合うが、日が落ちると人もまばらだ。僕は、その女性の呟きに対し、「へぇー、夜の琵琶湖に感動するなんてユニークな感性ですね」と返すと、「あはは、聞いてたんだ」と頬を赤らめながら髪をかきあげるしぐさがうぶな女子高生みたいで初々しい。

いろはと名乗る女性は城巡りが趣味で彦根城跡など観てきたといい、時間を忘れて彦根の街を散策しているうちに夜も更けてしまったそうだ。幼児のように好奇心旺盛で「どこから来たの?」「どうしてここにいるの?」と僕に対して興味津々。

いろはのどこか幼さを感じさせるが、年相応にしっかりした感じがさっきまで一緒にいた元カノのみちかと重なる。みちかは、僕より1歳年上の38歳で2児のシングルマザー。いろはと同じく好奇心旺盛で我が道を行くタイプ。専業主婦を望む夫とは、第2子が生まれるとすぐに見切りを付け離婚した。現在は、滋賀県大津市で歯科衛生士として働いている。結婚前は美容室でスタイリストをしており、人との出会いや交流に積極的。毎日仕事と2児の育児にてんてこ舞いだが、慌ただしさも前向きにとらえて楽しくやっているようだ。そんな彼女から最近連絡があり、僕は懐かしさもあって息抜きのつもりでお菓子などおみやげを持って駆け付け、子供の遊び相手になったり、近況を聞いたりしていた。

僕は、いろはの質問に意識を戻し「大阪から来た」「大津に友人が住んでいる」と説明。すると、いろはの「大阪!?一緒!」のリアクションに大阪での再会の予感に胸が躍る。いろはは、何でもポジティブに捉え、また人に期待するより自ら行動するタイプ。明るい雰囲気で、感性も似ているので一緒にいて居心地がよい。

その反面、同い年の妻ときたら。どちらかというとネガティブで心配性。何でも僕を頼るし、期待や要望に応えられないとすぐに不機嫌になる。3年ほど結婚をせがまれ続けたので、そこまで思ってくれるならと逆プロポーズを受け入れたのだが、あれやこれや注文が多くて息苦しくなるし、好き嫌いの好みも違う。以前ドライブ帰りここに立ち寄ろうとした際も「夜は真っ暗で琵琶湖が見えないんじゃない」と呟かれたのでスルーしたっけな。今は、第1子を出産して実家に帰省してくれているから羽を伸ばせているが、戻って来たらと思うと頭が痛い。

交際とまではいかなくても大阪でいろはに会えれば心の慰めになるかなと、淡い期待を抱き始めた時、いろはが口を開く。「夜と昼の琵琶湖はどっちが綺麗と思う?」と。僕は「それは観る人によります。一緒にいる人が喜んで観てくれる琵琶湖は綺麗に映ります。ほら、今のように」と冗談ぼく言ってみると「言うねぇ」と肩を小突くいろはの右手が心地好い。

そしていろはは続けて「私は、夜に琵琶湖なんて何も見えないっていう人に、私が観たいんだったら観たいって言わせたいかな。それは私じゃなきゃダメってことだから。好みも全て一緒で全部好きは、本当の好きじゃない。嫌いなところもあって、それでも一緒にいたいって思えるのが本当の好きと思うから」と意地悪そうな笑顔で微笑む。

「なるほど自分じゃなきゃダメか」。デート、結婚、子育てなどに対し、理想の異性を求めるのか、それともたったひとりの相手を求めるのか?10年前、みちかと交際していた時、僕の前から突然姿を消し、別の男性と結婚、出産を選んだのは、理想の異性を求めてのことだったのだろうか。僕は当事、独立したばかりで収入は乏しかったし。一方、妻と交際し始めた当初はアパートの家賃を払えるか払えないかまで追い詰められていたが、僕の生活が落ち着くまで3年も待ってくれ「結婚式も新婚旅行もなしでいいよ」って言ってくれたっけ。今の僕への不満や注文も、僕以外の相手は考えられないという意味の裏返しなのだろうか。

いろははスマホを開いて時刻を確認し「もう行かなきゃ」と呟き、「私とあなた、どっちが夜の琵琶湖なんて興味がないって言う人を先にここに連れて来れるか競争だ!じゃあね」と言うと、僕の肩をポンと叩き足早に立ち去っていった。

その直後、今実家の妻はどうしているだろう、と気になり、スマホを開き「寝かし付けはうまくいった?」とメッセージしてみる。時刻は19:00をちょうど回ったところ。すぐに子供の寝顔の写メが送られて来て、久しぶりにみる天使の寝顔に思わず目元が緩む。「いつも子守りお疲れさま。ご両親がいるなら、これからちょっと出掛けないか?」と返すと、妻からは「行く行く」と好反応。注文の多い妻のことだからと思い「ドライブでもって思ったんだけど、行きたいところは?」と聞いてみると、既読になって5分ほどし「どこでもいいよ!」と返事が。僕はその返事を合図に勇んで大津サービスエリアを後にし、妻の実家に向けて車を走らせた。
(記事:スタッフ)

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