疫病や飢饉の時代に、奈良の大仏に込められた思いとは?

 勝てる恋愛テク

「アベノミクス」
「日本を取り戻す」
「大変遺憾です」…etc

数々の名言を残した安倍晋三首相が8月28日に辞意を表明。7年8ヶ月に及ぶ歴代最高政権に幕を引きました。経済政策や外交で一定の成果を上げる一方、新型コロナ、政治家の不祥事や疑惑の対応に追われ、持病の潰瘍性大腸炎の症状が再発したと伝えられています。

経済政策「アベノミクス」を打ち出し国民から一定の支持を得ました。新型コロナ政策の不支持や経済低迷で支持率が低迷、国民の不満解消に頭を悩ませ、心労、過労が祟ったのでしょうか。出口の見えないコロナ不況・感染拡大を打開する政策が見えなくなったのかも知れません。

感染症蔓延と不況と未曾有の危機をどう乗り越えればよいのか?、政治家に限らず、一般国民の方々も同じ不安を抱えていることでしょう。ところで、そんな不安を昔の人はどのように向き合ってきたのでしょうね。日本の歴史に目を向けると。奈良時代、天平7~9年(735~737年)に日本で天然痘が大流行し、多くの人々が死亡。
(ウイルスを病原体とする感染症、致死率20~50%と言われる)
社会不安に陥っていたと言われています。

当時、政治を指揮した聖武天皇は社会不安を払拭し、人々の心を結集させるため。

天平13年(741年)に国分寺建立、
天平15年(743年)に東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)の造立

に取り組んだと伝えられています。奈良の大仏は、力強く鎮座する姿に願いや希望を捧げてしまったのではないでしょうか。聖武天皇が発した大仏造立の詔の中に「事や成り易く、心や至り難し」。こんな記述があります。これは国を挙げて大仏造立に取り組む中で、人の“心”を作ろう、取り戻そうとしたのでしょう。

聖武天皇は、歌人としても名が知られています。日本最古の和歌集である「万葉集」にも、詠んだ歌が収められていますからね。一部をご紹介します。

ももしきに うつろひかわる 菊の花 にほひぞまさる 万世の秋
<訳>
宮庭の色を変えていく菊の花は、秋の度にますます色鮮やかに映えていく。

道に逢ひて 笑まししからに 降る雪の 消なば消ぬがに 恋ふといふ我妹
<訳>
道で逢い、微笑みかけると、降る雪がすぐに消えてしまうように、
消え入るように自分のことを恋い慕ってくれる君

幼い頃から親族や側近、農民の死を目の当たりにしながら、人との出会い、別れの中で、人と関わることの素晴らしさと儚さを悟っていったのでしょう。時代は違いますが、自分ができることを考える時。まず取り組むべきことのヒントが聖武天皇の政策や歌から見えてきますね。

この記事をシェアする