「不倫は文化」なのか?を考えてみる

 勝てる恋愛テク

新元号「令和」の時代新元号が「令和」に決まりましたね。
出典は、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」だそうですよ。安倍晋三首相は談話で「令和」に込めた意味を「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と述べています。

さてこの安倍首相の談話を聞いて、俳優・石田純一氏の名言「不倫は文化」を連想したのは私だけでしょうか。「人々が美しく心を寄せ合う中で」、これが特に男女の関係となりますと、生まれ育つ「文化」は自ずと想像できそうな気がしますが…。ちなみにですが、石田純一氏は「不倫は文化」とは明言していないようですよ。1996年に不倫をスクープされた際「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」という主旨のことを語ったそうですが、その発言を記者が脚色し、石田純一氏=「不倫は文化」というイメージが一人歩きしたのが真相のようです。

「不倫」とは、自分とお相手どちらか一方もしくは両方に配偶者がいる交際、と定義できそうな気がします。男と女がいる限り、「いいな」と思う異性に恋心が芽生えてしまうのは仕方ない気がしますし、1度は味わったことのある恋するときめきの感動を忘れられない方も少なくないでしょう。

いったい「不倫」の境界線はどこにあるのでしょうか。「いいな」という異性に目を奪われたら「不倫」となるのでしょうか。

例えば、
・アイドルの握手会で握手する
・異性同士(スナックのお姉ちゃんとサラリーマンなど)でデュエットする
・男女ペアでダンスを踊る
・お気に入りの俳優(女優)の出演する不倫ドラマを観る
・映画、スポーツ、芸術を異性と楽しむ

など“一線”を越えないものは、たとえ恋愛感情があったとしても一般的には「不倫」や「浮気」と言いませんよね。石田純一氏の「不倫は文化」発言は、女優・故川島なお美さんから聞いた話を語っただけという噂もありますが、そうだったとするならば、「失楽園」など演技やドラマという「文化」を通じて不倫や男女のドロドロの恋愛を多数表現されている川島なお美さんらしい発言ではないでしょうか。「不倫は文化」と聞くと「不倫することが文化の時代になる」という意味に捉える方も多いでしょうが、真意は「不倫を文化という擬似的な恋愛の場で楽しむ」というニュアンスのような気がします。

みなさまは「不倫」は何とお考えですか?
個人的には、社会的に許されないものだけれども、日常に深く潜んでいて、文化的には非常に人を惹き付けるもの、と思います。言わば“グレー”なもので、文化面などでうまく付き合えば“良薬”、実生活などで深くかかわってしまうと“毒薬”“劇薬”にもなるものではないでしょうか。

すなわち、
“良薬”=ドラマや小説など仮想の世界で楽しむもの、またバレなければスリルや快感を味わえるもの
“毒薬”=のめり込んでしまい配偶者やお相手のパートナーに発覚、離婚、慰謝料請求など被害を被るケース
“劇薬”=恋愛工作や恋愛スキャンダルの暴露
とでも言っておきましょうか。

いずれにせよ「不倫」を深く理解し、うまく付き合っていくことを考えることが、恋愛を含めた人生をより充実させる1つの方法のような気がします。

【補足】
別れさせ屋は毒なのか、薬なのか?を私達はよく考えています。包丁もそうですね。料理に使えば道具ですが、鋭利なので人に向ければ武器へと変化します。私達の仕事も既婚男性が「妻の浮気を作ってほしい」の依頼から浮気を作ったとしますね。その事実を元に夫が「浮気したから慰謝料を払って」と妻に言い寄ったとしたら…。これは美人局や恐喝強要と同じになってしまいます。なので、私達のようや別れさせ業者と言うのは「別れる」為に作業することを徹底しています。復讐だったり、社会的地位を落とすなど。これらは依頼の本質として違いますので「対応不可」と判断させて頂いています。

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